近代美術の不可思議、‘キュビズム’を分析

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キュビズムからの派生

キュビズムを始点とした系統樹

キュビズムなるものが登場したことにより、その後美術の世界にも大きな波紋をもたらすことになる。肯定的か、否定的かという区分はともかく、様々な視点からキュビズムは確かに美術史の中で重要な存在として扱われるようになったことだけは、間違いない。受け入れらない人もいれば、積極的に取り入れる芸術かも存在していた。そうした中でキュビズムを端にする価値観もその後に多く誕生している。

1つの概念から連なるように続く糸は、系統樹として構成されていくこととなり、そこにもキュビズムを巡る価値観との相対を描いていた。ここからはそんなキュビズムを始点とする系統樹、時代の流れにおいてキュビズムはどのように変化していったのかを紐解いていこう。

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チュビスムという分野

まず最初に紹介するのは、こちらも美術史においてその名を遺している画家である『フェルナン・レジェ』という人物が、ピカソとブラックといったキュビズムに感化されて作り出した芸術作品群として編み出した『チュビスム』というものがある。このチュビスムというものがどういうことなのかというと、簡潔に言うならば作品のモデルとなっている物体を『チューブ状に還元』することで、物事の本質と捉えようとした。

ピカソ達とはまた違う形で物事の本質を訴えようとしたわけだが、さらに難読な絵画になっていることだけは間違いない。そもそもどうしてチューブ状にしなければならなかったのかについては、これはレジェ本人の葛藤も絡んでいると見るべき点だ。当時彼は画家として1つの迷いを持っていたといえる時期にさしかかっていた、その理由には自身の作品において何とか独自性を見出そうとする必死な様子が史記として記録されている。この時代、ピカソを初めとするあまりに著名な芸術家が多く誕生、輩出していた時期だったことも1つの影響だろう。自分のその流れに乗ろうとして模索するが、その答えを見出せないまま時間が過ぎていく中で、レジェはピカソ達の描いたキュビズムと邂逅することとなる。

きっかけはやはりセザンヌだった

レジェという画家も最初からキュビズムに傾倒していたわけではなく、まだ若かりし頃は印象派の風景画や人物画を描いていたと言われている。作風は当時にすればいたって大衆的であるものの、そこにオリジナリティを生み出すという点では、その目を開花させるのは至難の業だったのかもしれない。自分の書き上げたい作風とは一体何か探していたレジェに転機をもたらしたのが他でもない、ピカソ達キュビズムが生まれる原点となったセザンヌの回顧展が開催されたことで、彼に大きな転換期をもたらすことになる。

セザンヌの作品によって価値観を大きく塗り替えられたレジェはその後ピカソ達が生み出したキュピズムを初めとする前衛美術運動に参加することとなり、その中でレジェはセザンヌが残した1つの言葉に感銘を受けたという。その言葉とは、

・『自然を円錐、円筒、球として捉える』

というものであり、ここからレジェという画家のあまりに斬新な作品であるチュビスムが誕生することとなる。

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主流というものにならなかった

セザンヌの言葉に感銘とばかりに作風も大きく転換することになったレジェはチュビスムと呼ばれるようになった作品と共に、キュビズム文化を広めるための運動として行われていた『ピュトー・グループ』にも参加するなどして、キュビズムを広めようとする動きが見られていた。

ただ先ほども話したように活動自体は長続きしないまま解散することとなったが、レジェはそうした活動をしながらも彼の作風はキュビズムとも、抽象絵画とも類似しない彼自身の独自様式を確立することとなる。模索した結果、辿り着いたキュビズムという手法、それによってチュビスムと呼ばれるようになるも、それはあくまでレジェにとって1つのきっかけに過ぎず、最終的に彼は彼自身の独自様式となる絵画を作り出せるようになったという。

代表作の中にはそのチュビスムの作品も分類されているが、結果的に見ればレジェにしてみればあくまで自分のオリジナルを見つけることが目的だったというのが、正しいのかもしれない。キュビズムを参考にするように生み出されたチュビスムという価値観は、生み出した作者にすれば通過点の一つであり、最終地点に辿り着くために必要な道筋となる技術だったということだ。