近代美術の不可思議、‘キュビズム’を分析

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西欧とロシア、双方の美術観が融合

ロシア独特の美術『クボ=フトゥリズム』

キュビズムの誕生によって西欧諸国に革新的な芸術観を生み出した事は言わずもがな、それは日本においても史実として証明され、そして評価されている。誕生したばかりの頃は多くの人々に容認されず、ただただ糾弾されるばかりだったが、ピカソやブラックという画家が逝去しても作品だけは残り、後にこれほど斬新な作品はないとして、近代絵画の父であるセザンヌと同等程度に、その地位を飛躍的に延ばし、死後において名声を手に入れることとなる。

彼らの功績はフランスを始めとした地域に住んでいる人々にはもちろんのこと、それは西欧以外の地域でも受け入れられるようになる。それは後にその土地特有の芸術観と融合するなどして、全く新しいキュビズムを生み出すことへも繋がっていくのだった。そんなキュビズムが国へと伝達されたことによって誕生した芸術として『クボ=フトゥリズム』という文化が誕生する。これは日本語で訳すと、『立体未来主義』と言われるもので、この主義はロシアにおいて普及したものとなっている。

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キュビズムとほぼ同時期に生み出された

正式名称もそうだが、さすがに日本人には聞きなれない言葉なのでここからは立体未来主義と述べさせてもらう。そんな立体未来主義についてだが、ロシアにおける美術の傾向をさしており、先にも述べたがこれはキュビズムがロシアのとある芸術観と融合することによって誕生したものとなっている。融合することになったロシアの美術観のことを、『ネオ・プリミティズム』と呼ばれるもので、これはロシア特有の絵画形式となっている『イコン』、また土着的主題などが作品に強く表れている、西欧には見られない作品の特徴をかもし出している。

そんな立体未来主義が誕生したのはキュピズムが登場した1900年代初頭から数えて数年後に、ロシアで編み出された芸術観となっている。大陸続きの地形となっているため、文化の伝達としては海を越えるよりも早かったのかもしれない。どのようにして伝わったのかはともかくとして、キュビズムの流れを受けたことによって少なくともロシアとしても影響を受けることになったのは事実となっている。

キュビズムに対する負い目

立体未来主義と呼ばれる文化はロシアにおいて、美術以外の芸術面にも含まれているという。それだけでこのキュピズムというものが西欧諸国で圧倒的な存在感を示すに留まらず、ロシアという宗教的共通こそ存在しているが、国風などがまるで異なる土地柄でキュビズムが広まったことはある意味奇跡的な光景といえるかもしれない。

ただ肯定的だったとは言えない、元々ロシアにも独自の美術観は存在しており、それを他国から流れてきた美術観が自国のそれよりも勝っているとは中々に屈辱を受けるだろう。大国という意識を持っているからこそ、納得できるものではなかったのかもしれないが、それでもまるで見た事がなかった文化を受け入れながらも、認めることによりロシアの芸術的分野にもある種の革命をもたらすことに成功した。

当時の作品もキュビズムに対して負い目を思わせる作風が描写されているといわれているが、結果的に肯定的な結果をもたらしていると考えればまだ容認も出来るだろう。

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この芸術観も短命にて終焉を迎える

立体未来主義と呼ばれる芸術観についても、非常に短命となっている。誕生したのは1910年といわれており、芸術として1つの終焉という区切りを迎えることになったのが、1915年だ。終焉を迎えるようになったきっかけとして、ロシア国内では前衛的な作品よりも抽象作品が増えていくことが大きな要因となっている。キュビズムとは西欧に大きな影響力をもたらすことになったが、やはり他国で生まれた文化だということが一番大きいのかもしれない。

大陸続きで伝来されたが、ロシアという独特な価値観を備えることになる場所では、キュビズムの存在感も霞んでしまったようだ。