近代美術の不可思議、‘キュビズム’を分析

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アメリカ初の抽象絵画

アメリカにて誕生した『シンクロミズム』

キュビズムの誕生によって文化的変化をもたらされた国は西欧やロシアだけではない、その頃にはすでに世界的な地位をモノとしていたアメリカにも、キュビズムという芸術観が海を越えて伝えられ、その結果として『シンクロミズム』と呼ばれる芸術観が誕生することとなる。

このシンクロミズムと呼ばれる絵画については1913年頃、アメリカ人画家の『モーガン・ラッセル』と『スタントン・マクドナルド=ライト』が自分達の絵画を規定するために用いられた言葉となっており、本来は限定的に使用されていただけの文化だったが、後にアメリカ国内で広く知れ渡ることとなる。

1つここで説明しておくと、キュビズムとは抽象絵画とは別物だが、このシンクロミズムと呼ばれる作品に見られる共通点は、それから逸脱しており、一般的な概念としてまとめるなら『抽象絵画』と呼称した方がいい部分もあるが、それでも一般的な抽象画とは異なる趣を持っている。原点としてキュビズムの流れを汲んでいるシンクロミズムという芸術観がどのようにアメリカの美術史において、その価値を表現して行くことになるのかを見てみよう。

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他の芸術観と結末は同じ

シンクロミズムを開発したラッセルとライトはその後、独自の絵画として規定することとなり、概念が生まれた翌年にはミュンヘンとパリにおいてグループ展を開いて、正式にキュビズムの影響を受けた芸術観としてその存在を知らしめることとなった。その後彼らは著名な画家に指導されながら、独自の作品を生み出すことに専念することとなるが、絶対的に見た場合には彼らの作品は正確にはキュビズムとは違うものとなっている。彼らの作り出した作品傾向として一番適しているのは、先述にも紹介した色々と事情を抱えていたオルフィスに近い部分があると言われている。

オルフィスに近い部分があると話したが、それを証明するのが色鮮やかな色彩を用いていることも、大きく影響している。それも相まってシンクロミズムはキュビズムの流れを汲んでいることに組んでいるが、その中でもオルフィスよりのものとなっていると見なすべきだとする意見が多く散見している。

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アメリカ国内では再評価される

ほとんどの文化と同じく、シンクロミズムについても芸術としては短命だった。継承する芸術家達もいたが、運動は世界大戦と共に離散してしまい、そのころに制作されていた初期のシンクロミズム作品のほとんどが失われてしまう形となった。これによってシンクロミズムも消滅してしまうと見られていたが、西欧においてはそのような結末を辿ることになってしまうが、アメリカ国内ではまた別だった。

そもそも当時のアメリカとしては、国内初の抽象絵画だったこともあって国にとって見れば決して見過ごしてはいけない美術と見なされるようになった。そんなシンクロミズムが認められるようになるのも、半世紀近い時間を掛けてようやくアメリカという大国で展開される美術史に大きな影響をもたらす。再評価を受けたことで、それからさらに30年後の1990年にはモーガン・ラッセル初となる回顧展がモントクレア美術展にて開催されるなど、シンクロミズムはヨーロッパでこそ成功しなかったが、アメリカとしては大きな功績を残したといえる快挙を成し遂げた。

この点はロシアにおける立方体未来と異なるところだろう。