近代美術の不可思議、‘キュビズム’を分析

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芸術の都で行われた運動

オルフィスムという絵画運動

キュビズムが近代美術の分野において圧倒的な世界観を披露している事は誰もが理解していることだ。例え批判している人であっても、キュビズムが芸術分野において決して無視する事の出来ない存在感を持っていることも、十分理解できる。ただそんなキュビズムをきっかけとして誕生した芸術運動は存在しているが、どれも短命なのが特徴だ。先に話したチュビスムにしてもそうだが、これはレジェにとってただ自身の作品という独自性を求めた結果生じた副産物のようなものとなっている。チュビスムにしてみれば、その後レジェの作品がそれらに傾倒する動きもなく、静かに芸術分野として幕を下ろしている。

ここで紹介する芸術運動もその一つで、その名を『オルフィスム』というものになる。

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キュビズムと抽象絵画の境界線

オルフィスムという芸術運動もまた、キュビズムの分派として誕生したものだ。だがこの運動を機に発表された絵画についてキュビズムと呼ぶべきではない意見も散見されている。その理由として、キュビズムにおける禁忌を破ったためだ。

キュビズム作品を生み出したピカソ、そしてブラックは作品を創る上であることを絵画に取り入れないようにしていた時期があった。それは作品を制作している中で、一定の色彩を取り入れないようにすることである。そうすることによってキュビズムは完成形へと至ったわけだが、オルフィスムの運動においてはそうした色彩を事由に用いて華麗な作品を描いていることが、何よりの特徴だった。どうしてそれがいけないのか、理由として色彩をふんだんに、自由に使用する作品が出てしまうと、それは当時として一般的な美術作品『抽象絵画』となんら線引きが出来ないものになってしまうからだ。

それでは芸術として意味が失せてしまい、キュビズムを表現したいのか、抽象絵画を生み出したのか、まるで分からなくなってしまう。迷走した結果かと思いきや、これを真髄とした動きだったこともあり、芸術運動としてはあまりにお粗末だったと述べるしかない。キュビズムから生まれたはずの運動が、いつしか目的を見失って原点回帰とばかりに立ち返ってしまったこともそうだが、それだけキュビズムとはその本質を見誤ってしまうと本質から簡単に反れてしまう、ということを証明することとなった。

呼び始めた人間もかなり異色

オルフィスは運動開始から数年で活動にピリオドを打つことになってしまう。そんな中で何かを残せたのかというと、この活動に名称をつけた一人の詩人がある意味歴史に名を残している。『ギヨーム・アポリネール』、この名を聞いたことがある人もいるだろうが、筆者的に言わせると相当な曲者だったのではないかと見ている。

詩人として、小説家としてある意味地位を獲得している事は間違いないが、その作品傾向があまりに当時からしても卑猥な表現ばかりしている物が多く、ある種キュビズム以上に前衛的だったといえるかもしれない。アポリネールについて言うならば、創造された作品においてあらゆる意味で奇想天外な作品だということだけは、確実に言える。

その後アポリネールはナポレオンの時代において世間から糾弾されながらも、独自の哲学を持ってして描いた小説作品を世に送り出していた『マルキ・ド・サド』を評価し、更に彼が残した作品を復興させるなどの動きを見せていたこともあり、当時としても相当な変人として見られていた可能性が高い。

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何がしたかったのか

オルフィスムという呼び方を作り出したアポリネールにしてもそうだが、結局オルフィスムに参加していた芸術家達が何をしたかったのか、その意図を察する事は今となっては難しい。参加していた芸術家全員の作風は異なっており、共通性やジャンルもあまりに異なっていることからキュビズムの中の1つとして見た方が良いとする意見が見られる。意義を持って活動していれば評価されるだろうが、結局キュビズムとは違う道を歩みすぎたがため、存在を知る人も少ないだろう。

そういう意味ではチュビスムよりもその結末は歯切れが悪いことだけは間違いない。